Tiempo mañana30
2024年のある朝の写真から
いつかきた道
この町に住んでいたとき、毎日わたっていた橋を渡って散歩しています。
母や姉、叔父や叔母が住む町に来ています。
「実家に帰る」ということばを以前は使っていましたが、「日本に帰る」「実家に帰る」「東京に帰る」ということばがシックリこなくなったので、シックリくるまで「帰る」ということばを使わず、「行く」「むかう」「戻る」といったことばを使おうと思います。
小学校から高校まで、その町の名前がついた川をいつも渡っていました。
小学時代の友だちの名前も先生も、学校へむかう道順さえおぼえていないのに、ずっと記憶している小学時代の期間があります。
ある台風で川が大荒れになったとき、二車線の道路を持つ屈強なこの橋が折れました。
さいわい人的被害はなかったと記憶しています。
その橋を渡らないと、他学区の遠い橋を渡って通学しなくてはならなかった地区の生徒は、数日間、自宅待機になりました。それはぜんぜん忘れてもいい記憶です。
なんでそんなに覚えているか。なんと人が渡るためのものすっごい仮の橋が水面スレスレにできたからです。ふだんは水量の少ない川。だからといってスレスレに仮の橋を架けてしまう、なんて今だったらきっと考えられないだろう。
スレスレの小さな橋を渡る毎日が楽しくて、みんなで歌いながら集団登校した。歌いながら帰った。
いつかきた道。おぼえているのはそれぐらい。
2024年5月記