Tiempo noche23
2024年の写真から
けむる日々
わたしにとって未来は、夜です。朝でも昼でもなく。
3つのクラスで勉強しています。そのひとつで集中的に学んでいるのが未来に関連するあらゆる文法です。もちろん文法を学ぶには、そのための例となるたくさんの関連する例題や記事を読んで勉強しなくてはならず。
これがしんどい。
そもそも未来なんて考えない生活をしているから、しんどいのは当たり前なのだけれど。
この文法を勉強するテキストには、未来の技術やそれにともなう新しい仕事、そしてそこから生まれる痛みみたいなコトばかり書いてあります。
予習していても、クラスで学んでいても、復習していても、ずっと頭から煙が出そうです。
わたしは新しい技術とか、デジタルでできていく世界みたいなことがホントに苦手です。
スマートフォンも、朝イチのニュースを見て、ラジオやポッドキャストを聞き、デジタルテキストを使い、毎朝のトレーニングの記録を残し、そして数すくない友だちや家族に連絡する。それだけです。あ、道に迷いそうなときにも。
このまえ、クラスに行くために電車に乗っていつもどおり本を開いて、ふっと顔をあげると見える範囲にいる乗客皆さん全員がスマートフォンを見ていました。
わたしひとり異なる時代の電車に乗っている気持ちになりました。
きっと、松葉づえのときにナガラ歩きのヒトをよけることができず痛い目にあってから、より苦手になったのだろうと思います。
その小さな画面にあるコトは、そんなに急ぐことなのだろうか。そんなに大切なコトなのだろうか。そんなにつながっていなくてはいけないのだろうか。
テキストに出てくる例題は、そんなわたしの疑問すべてを肯定します。
だからきっとわたしの頭はけむるのだ。
みんなが大好きなあの青いキャラクターが、そのポケットから出してくれた未来はコレだった?
キミはこのテキストの例題や記事をどう思う?
煙を消すために、早く次の文法にいくアイテムをポケットから出してほしい。おーい。
2024年11月記