Tiempo tarde29
2024年のある昼の写真から
その場に身をおいて
この冒険の旅もまもなく終わります。
55年生きてきた中で最長期間のひとり旅でした。長かったからこそ感じることができることがあります。
いくらガイドブックや資料で調べても、その場所を知ったことにはならない。ネット上の情報を調べても、それが正しいとは限らない。やはり情報は情報でしかなくて、その場所に身をおいて自ら知るための行動をとって、はじめて知ることができる。そう思いました。
森に滞在したときに、たまたま居合わせたその国に住む2人といっしょにお茶を飲みながら話しました。「遠くの国のひとには、南米全部おなじようなイメージで”ラテン”ぽいと思われているけれど、どの国もまったく違う文化がある」といった彼女のことばは、この国に着く前のわたしの考えそのままでした。
わたしも、この大陸では、アジアという地域としての同じイメージを持っている多くのひとから「日本と中国と韓国のちがい」の質問をよく受けました。森で2人と話たあと、アジアの国のそれぞれの文化について、とくに自分が生まれた国について話をできるようにならなくてはいけないと強く感じました。
この写真は、この国の首都に住む友だちの家の近くのコンビニエンスストアで撮ったものです。
友だちが住む地域は、街の中心の住民からは「あそこはあぶない」「あそこはあまり行かないほうがいい」と言われる場所です。
でもわたしは、この首都でその街がいちばん落ち着きます。
生活があって、学校に通う子どもたちが歩いていて、買い物中の女性たちが立ち話をしている。道もきちんと掃除されている。
いそがしく行きかうひとや観光らしいひとばかりの街のまん中にいるとザワザワするこころも、その友だちの地域に行くとおちつきます。
情報だけで、その場所を判断したり比較してはいけない。その場に身をおいて知ること。
帰国したら、これまで思っていた日本に身をおく意味をいったんゼロにリセットしようと、いまは思っている。
2024年5月記